あと2カ月、完走するだけ
NHK大河ドラマ「光る君へ」第41回「揺らぎ」が10/27に放送された。衆院選投開票日とあって、NHK総合での放送は定時の午後8時から早まった。そのせいで番組の視聴率は揺らいだかもしれないね・・・でも、こっちは全然関係ない。残すところ2カ月のドラマを、固唾を飲んでどう着地していくのか見届けるだけだ。
前回から、すっかり「ああ、良かったな~今年の大河ドラマは」的な噛みしめる気分に浸り始めているのが、我ながらおかしい。放送発表の日から、源氏大河を本当に楽しみにしていたもんね。期待にたがわず、紫式部を取り巻く源氏物語を生んだ平安世界のドラマを、豪華絢爛な美術や衣装と共にここまで堪能させていただきました。ありがとう!
こうやって、楽しみにしていた大河ドラマを視聴者として完走できることは、とても幸福なことだ。亡父は「真田丸」を楽しみにしていたけれど完走は叶わなかった。2016年は忘れられない。きっと最高に面白かった「鎌倉殿の13人」も見たかっただろう。
10/30が故人の誕生日だったのでそんなことを考えてしまったが、私のラスト大河は何になるのだろう。それまでは、是非とも大河ドラマをNHKは継続していてほしい。
道長の権力の揺らぎ
さて、公式サイトからあらすじを引用する。
(41)揺らぎ
初回放送日:2024年10月27日
即位した三条天皇(木村達成)と道長(柄本佑)の間では、早くも水面下で覇権争いが始まろうとしていた。道長の息子たちの序列争いも表面化し…。その頃、まひろ(吉高由里子)は天皇を失った悲しみに暮れる彰子(見上愛)を慰め、和歌の会を催すことに。すると、招かれていないききょう(ファーストサマーウイカ)が現れる。さらにまひろの実家では、娘の賢子(南沙良)と若武者・双寿丸(伊藤健太郎)が仲を深めはじめ…((41)揺らぎ - 大河ドラマ「光る君へ」 - NHK)
融和的で道長に丸め込まれてきた一条帝に代わって、自らが政をしたいイケイケドンドンの三条天皇が登場したことで政情も変化。三条帝に焦る気持ちがあっても仕方ないよね、25年も皇太子の地位にあって、結構なお年なんだから(当時の30代は)。
ただ、一条帝の四十九日の日(8/11)に内裏に入るのだって、本当なら待てば良いのに・・・後日、一条帝を蔑ろにするから短い在位に終わったんだぞって巷で言われたんじゃないのかな。
道長にとっては厄介だ。左大臣としてトップに立ってきた身には、これまでの一条帝時代のやり方が嫌われるんじゃ。三条帝に揺さぶられ道長の権力が揺らぐという意味が、主には今回のサブタイトル「揺らぎ」には込められているのだろう。
何しろ意味深に見えてしまうのが、三条帝が側近に選んだのが道長の兄(道綱)、道長の甥(隆家)、道長の子(教通)だということ。蔵人頭は通任、藤原済時の子で寵姫である娍子の弟らしい。
道綱の場合は、これまで三条帝の東宮時代に東宮大夫だったらしいから分かる。隆家も、中の関白家の当主だから。そこに、倫子様次男の教通が選ばれ、公の政の話なのに、道長は家庭に手を突っ込まれた形になった。兄弟でザワザワ、道長も困ったことだろう。
と言ってもね、実のところ三条帝自身が道長の甥で、道綱は道長同様三条帝の叔父であり、隆家は従弟、教通も従弟だ。単に三条帝は、頼りたい身内を側近に選んだだけとも言える。
個人的には、行成が「敦康様が二度と内裏に上がれぬようにいたせ」と道長に命じられて反論したのが、道長には結構気持ちが揺らぐことだったのではないかと思った。
- 前の帝の第一の皇子であらせられます。そのようなことはできませぬ。
- 恐れながら、左大臣様は敦康様から多くのことを奪い過ぎでございます。敦康様がお気の毒でございます。
- 左大臣様がおかしくおわします。
3つ目は、ここまで言ったかと、おお!と思った。道長は「お前は私に説教するのか?」と乾いた言葉を行成に返したが、去る行成を目で追っていたね。これまで窮地で助けてくれたのはいつも行成、前回もそうだったのに。
公任が三条帝からの取り込み→道長チームの四納言空中分解を警戒していたが、行成もこういったタイミングを突かれて、思わぬ勢力に取り込まれたり揺さぶられたり振り回されたりしなければいいね。でも、行成は一条帝のお気に入りだった。三条帝には目を付けられないか。
これからの終盤は三条天皇との綱引きの展開だね・・・ずっとホワイト道長で輝いていられるのだろうか。
まひろ周辺の揺らぎ・仕事編
まひろの場合は、伊周菌にすっかり侵されてしまったききょう(清少納言)が、秋の藤壺で穏やかに歌の会をしていた彰子の下にカチコんできたことで、彰子周辺がかなり揺らいだ。あの後、女房総出で塩でもたっぷり撒いたのだろうか。当時はそういう時、誰がお祓いしたのかな。陰陽師か神主か、はたまたお坊さんか。
宮の宣旨:清少納言が参りましたが、いかがいたしましょう。
頼通:今日は内内の会ゆえ、日を改めさせよ。
彰子:よいではないか。通せ。「枕草子」の書き手に、私も会ってみたい。(目を白黒させるまひろ、嫌な予感がしたのか。脇に控え通り道を作る女房達。箱を捧げききょうが来る。彰子は喪服だが、藤壺の女房衆はあでやかな衣装。ききょうは鈍色の喪服。まひろをちらりと見て、御簾の前に控える)
ききょう(清少納言):お楽しみの最中にとんだお邪魔をいたします。敦康親王様から中宮様へお届け物がございまして、参上いたしました。
彰子:(屈託のない笑顔で)そなたが、かの清少納言か。
ききょう:お初にお目にかかります。亡き皇后定子様の女房清少納言にございます。
宮の宣旨:お届け物とは?
ききょう:(箱を彰子の方向に向け直して)椿餅にございます。亡き院も、皇后様もお好きであられました。敦康様も近頃この椿餅がお気に召して、中宮様にお届けしたいと仰せになられまして。
彰子:(笑顔で)敦康様はお健やかか?
ききょう:(キッと顔を上げて)もう敦康様のことは過ぎたことにおなりなのでございますね。このようにお楽しそうにお過ごしなこととは思いも寄らぬことでございました。(全員気まずい雰囲気。そっとききょうを見るまひろ)
赤染衛門:(思案顔から)私たちは歌の披露をしておりましたの。あなたも優れた歌詠み。一首お詠みいただけませんか?
ききょう:(赤染衛門を睨んで)ここは、私が歌を詠みたくなるような場ではございませぬ!(彰子、沈鬱な顔。ききょう、御簾に向き直って)ご安心くださいませ。敦康親王様には脩子内親王様と私もついております。たとえお忘れになられても大丈夫でございます。失礼いたします。(まひろを一瞥、ツンと出ていく。御簾の奥でこらえている彰子)
ききょう大暴れ。「とんだお邪魔」は有言実行だった。しかし、お健やかかと問うのがなぜに過ぎたこととか忘れたことになるんだ・・・ひねくれてる。伊周菌恐るべし。
そんなききょうを言わせっぱなしで誰も咎めないのだなあ、と溜息・・・でも、赤染衛門は声を掛けた。行成と清少納言は、身内が立派な歌詠みだったから歌は嫌いじゃなかったか。もしかして赤染衛門は歌を詠むように皮肉を言って「歌なんて嫌!」とききょうが早々に尻尾を巻いて退散することを狙ったか。で、返り討ちに遭ったのか。
ドラマではこれぐらいやらないと、紫式部日記に後世も残るような悪口はまひろも書けないね。ということで、局に戻ったまひろは「清少納言は、得意げな顔をした酷い方になってしまった」としたためた。
そういえば、ききょうが持参した椿餅。源氏物語のどこかで食べられてたなと食いしん坊の私は思った。調べたら34帖「若菜上」だった(椿餅の特徴・歴史・味 - 和菓子の季節.com)。光源氏の苦悩の晩年が始まる巻だ。光源氏と道長と、なんとなく行方がリンクされているんだね。
ききょうの暴言に、御簾内で鼻の頭を赤く染めて堪えていた彰子は、さらに返礼の手紙を受けてやってきた敦康親王が御簾を捲り上げて御簾内に入ってくるという、当時で言ったら女風呂に中学生男子が入ってきちゃったぐらいの事態なのだそうだけれど、騒ぎ立てずニッコリ応対した。自分としては息子と思って長年慈しんできたんだもんね、親王の彰子の顔が見たいという気持ちも分かる気がしただろう。それは行成もそうだった。
それに関して心配し過ぎという体で敦康排除を強めようとする道長の意志を感じ、彰子は自分なりに対抗しようと考える。「この先も父上の意のままになりとうはない」との宣言、成長してるよね。
まひろが賢子の下に来ていた双寿丸の話をヒントに、「仲間づくり」を進言。「中宮様には弟君は大勢おられましょう。皆で手を結べばできないこともできます。中宮様がお一人で不安になられることも無くなりましょう」という言葉を受け、弟たちを呼び、父・道長に対抗するチームを作った。側近く仕えるまひろも胸アツだったことだろう。
頼通:どうなされたのですか?姉上。
彰子:私は早くに入内したゆえ、そなたらとは縁が薄い。それも寂しいと、この頃つくづく思うようになったゆえ、こうして声を掛けた。皆、よく集まってくれた。礼を言います。(まひろ、端近に侍る)
ナレーション:彰子はこの日、腹違いの弟たちも藤壺に呼んでいた。
頼宗:我らもお招きいただき、ありがたき幸せにございます。(後方を示して)弟の顕信にございます。(顕信、頭を下げる)
彰子:よう来てくれた。
教通:そういえば小さい頃、姉上とお話した覚えがありませぬ。
彰子:私は口数の少ない子だったゆえ。でも、教通のことはよく覚えておる。かけくらべの好きな子であった。
教通:母上が喜ぶので、そういうことにしておいただけでございます。
彰子:そなたらが困った時は私もできる限りのことをするゆえ、東宮の行く末のために皆の力を貸してほしい。
頼通:もちろんでございますよ、姉上。
彰子:我らは父上の子であるが、父上をお諫め出来るのは我らしかおらぬとも思う。父上のより良き政のためにも、我らが手を携えていく事が大切だ。
弟たち4人:はい。
ナレーションによると、この後、彰子は枇杷殿という場所に移り、藤壺には三条天皇の女御となった妹の妍子が入った。藤壺を去る挨拶としても、彰子はご立派な事だ。息子の東宮の行く末を弟たちに頼むのはまあ、常道。その後に「父上をお諫め出来るのは我らしかおらぬ」と。道長も驚くだろう成長ぶりの彰子様なのだった。道長の目には、まだまだ守る一方の対象と見えているみたいだから。
教通の爆弾発言をスルーしたのは、笑うところなのにかわいそうじゃないのとは思ったけどね。教通はこういう目端の利くキャラなんだな。
彰子に引き換え新女御の妍子・・・自由だよなあ。敦明親王が「風下から音を立てずに近寄って・・・一気に仕留める!」と狩りの話をしている時に、実際にそれを親王相手にやってみて「すき💕」と仕留めにかかったのには大笑いした。
さらに、そこに母の娍子が「そこまで!」と剣道の審判のように割って入ってきたのも面白かった。声が通るなー。さすがに、立太子が懸かる息子にとって、これ(父の天皇の后にもなろうという女御にちょっかいを出したと見なされる)がどんなにか命取りになるか、事の重大さが分かっている。「我が息子が無礼を働きましてお許しくださいませ」「どうか、このことは帝には仰せになりませぬよう伏してお願い申し上げます」と、女御としては同じでも、下手に出て事を納めようと必死だ。
それなのに・・・敦明親王は母の懸念に考えが及ばない様子なのは残念。頭の回転はあまりよくなさそうだ。妍子に迫られてデレデレしていて得意なのは学問よりも狩りとくれば、実は妍子とはぴったりなカップルだったのかも。
三条帝が娍子を妍子と共に女御としたいと望んだことで道長に文句をつけられていたが、実は三条帝の母(道長姉の超子)が女御になったのも、リアルで前代未聞のことだったらしい。
ウィキペディア先生によると「超子の入内時、父兼家はまだ蔵人頭であり、これが公卿ではない人物の娘が女御宣下を受けた初例となった[1]」とある。(藤原超子 - Wikipedia)
娍子の父・藤原済時は没する時に大納言だったとか。正二位で公卿ではあった訳だ。姉の例を考えれば道長も文句を言いにくそうだけど、「娍子様は亡き大納言の娘にすぎず、無位で後ろ盾も無いゆえ、女御となさることはできませぬ。先例もございません」なんて言ってたね。自分の姉のことは?
まひろと道長の仲は揺らいだのか
ききょうの悪口を書いたのち、まひろは薄雲のかかった半分欠けた月を見上げた。道長も同じ月を見ていたが、雲に覆われて月が消えた。どういうことか。道長は、まひろと語らった理想の政の姿を見失ってホワイト道長から転落するのだろうか。
それより前、三条帝が即位した後に、道長はまひろの局にやって来た。その時の会話が「ムムム、道長、お主は黒くなったのか」と少し思わせた。まひろは疑念を持ったんじゃないのか?
三条帝は道長に関白就任を打診➡道長が、それでは陣定に出られなくなり参議らの議論の掌握にも不都合があるとの内心の判断で断った➡三条帝に借りを作った形になり➡引き換えに女御に娍子もと望まれて➡道長が認めざるを得なかった後のことだった。
「関白のことは分かったゆえ、娍子のことは断るでない」と三条帝は押し切り、即位早々、いきなり駆け引きスタートだった。
まひろ(藤式部):(局で文机に向かって書いている。道長が廊下に姿を見せ、筆を止めて見上げる)
道長:まだ書いておるのか。
まひろ:ずいぶんな仰り方ではありませんの。書けと仰せになったのは道長様でございますよ。
道長:すまぬ。(腰を下ろす)あっ、光る君と紫の上はどうなるのだ?
まひろ:(筆を置く)紫の上は死にました。
道長:え?
まひろ:誰も彼もいずれは黄泉路へ旅立つと思えば、早めに終わってしまった方が楽だと思うこともございます(投げやり)。道長様はそういうことはございません?
道長:今はまだ死ねぬ。
まひろ:・・・(声音が低くなる)道理を飛び越えて敦成様を東宮に立てられたのは、なぜでございますか?(背を向けて座っていた道長、振り返る)より強い力をお持ちになろうとされたのは・・・。
道長:(まひろを見て)お前との約束を果たすためだ。(庭に目を戻す)やり方が強引だったことは承知しておる。されど俺は常に、お前との約束を胸に生きてきた。今もそうだ。(まひろ、無言)そのことは、お前にだけは伝わっておると思っておる。(まひろを見つめるが、まひろは無言のまま。道長、膝を叩く)これからも中宮様を支えてやってくれ。(立ち上がり、去って行く。目を泳がせ、そっと息を吐くまひろ)
まひろの心情を説明するセリフはない。でも、若い頃のように、まっすぐに道長の言葉を信頼できず、考えあぐねているかのようだ。
道長が言葉のままに、まひろとの約束を胸に政務に邁進しているのだとしたら、まひろにまで道長を疑う気持ちが芽生えているなんて、道長は何て孤独で気の毒なんだろう、政治家はいつも孤独というけれど、と思う。
ただ、まひろが無言でいたように、道長の言葉がうら寂しくも聞こえるのだ。年月が経っても、文言は同じなのにねえ。現在は圧倒的な権力の座にあるから、こちらは疑念を抱いてしまうのだ。
でも、頼通に言っていた通り、権力を掌握し帝を御しやすい孫にしようと望むのも、民のためであって一族のためではないのだとドラマのホワイト道長を信じたい。まひろも、どうか道長を信じてやってよ。
まひろ周辺の揺らぎ・家庭編
いとの仏頂面全開がとても面白いのだけれど、昔のまひろそっくりの賢子が乙丸を連れて街歩き(まるでデジャブだよね、乙丸は老いたけど)、双寿丸と出会った。前回、「襲われた姫を助ける若武者」という、テンプレートな出会いだった。
直秀を思い出すよね。ということは・・・悲劇の死が待っているのかな。刀伊の入寇で華々しく散るのかなあ。
平安時代は街歩きなんて考えられないくらい危険だったと聞くが、とかく若者ご本人というのは、ティーンブレインもあって自分の置かれた状況の危険性に気づきにくいとか。そもそも、越後守の御孫の姫だと、いとが威張るくらいなら、あんな風に出歩くことがまずおかしいらしいから。
けれど、まひろの代からこの家のスタンダードは貴族の家としておかしくなってるものだから、いとも正面切っては賢子には言いにくい。当然の帰結として、賢子がああいう目にも遭う訳だ。
乙丸が屈強なお供だったらまだしもなんだが(想像できない😅)「姫様に何をするー(1発でやられて気絶 or 倒れる)」が基本だもんなあ。そこが乙丸の良いところなんだけど。
乙丸はちゃんと老けている。何歳の設定なんだろう。
そうやって母娘伝来の街中ぶらぶら歩きが引き寄せた出会い。賢子の好意はあからさま、双寿丸も、ただ飯が食べられるというのが大きな魅力だろうけど、まんざらでもなさそうだ。
そうだ、後半の双寿丸登場シーンでは、久しぶりに馬上の鎧姿の武者(平為賢)を見た。大河では良く見るシーンなのだが「光る君へ」では珍しい。
宿下がりで居合わせた、まひろの態度が面白かった。すっかり昔の自分と道長(三郎)に重ね合わせていた。まひろ、親というより友人のよう。いとがいるから、親としての役割はいと任せでも良いのかな。
双寿丸:(いとの不機嫌を尻目に上がり込み、もりもり夕餉を食べる。箸を止めてほほえむ賢子)この家には書物がやたらといっぱいあるのだな。
賢子:(まひろと顔を見合わせ)読みたかったらいくらでも貸してあげるわよ。
双寿丸:俺は字が読めぬ。
賢子:え?
双寿丸:あっでも、自分の名前だけは書けるぞ。
まひろ:足で書くの?(箸を置き)そなたはそのような身なりをして字も書けないなぞと言っているけれど、実は高貴な生まれではない?
双寿丸:(皆言葉を失う)・・・母上、大丈夫かよ(賢子に)。
まひろ:ああ、失礼。今のはひとりごと。
賢子:双寿丸も、字は読めた方が良いわよ。私が教えてあげる。
双寿丸:要らぬ。俺は武者だ。
賢子:そうだけど、人の上に立つ武者になるなら・・・
双寿丸:要らぬ。俺は、字が読めぬ哀れな輩ではない。人には得手不得手がある。俺らは体を張って戦うのに向いている。字を書いたり読んだりするのは向いておらぬ。学問の得意な者らは俺らのようには戦えぬだろ?それゆえ武者であることに誇りを持てって、うちの殿様が言っていた。
まひろ:(賢子はニコニコしている)ふ~ん、そう。殿様のところで武術を学んでいるの?
双寿丸:ああ。一人で戦うのではなくみんなで戦うことを学ぶんだ。弓の得意な者は弓を引く。石投げが得意な者は、弓の射手が矢をつがえている間に石を投げる。弓と石で敵の先手を倒してから太刀で斬り込んでいくのだ。それぞれが得意な役割を担い力を合わせて戦えば、一人一人の力は弱くとも負けることはない。戦をやらずに済めばそれが一番良いけど、そうもいかないのが人の世だ・・・と、うちの殿様は言っていた。それに、仲間を作れば一人でいるより楽しいし、仲間のために強くなろうと思える。
まひろ:・・・と、殿様が言っていたの?
双寿丸:そうだ。
賢子:フフフ。
双寿丸:お前の母上、いちいち絡んでくるな。(笑うまひろと賢子)
「足で書くの?」は視聴者以外、誰も理解しないよね。三郎との出会いを誰かに言ったことがあったかな?惟規は知ってるか?為時パパや、いとにはそんなことまでは言ってなさそうだ。
まひろは惟規が逝き、一条帝もお隠れになって「心が持たない」からと宿下がりを許されたと最初は言っていた。けど、双寿丸が来る時はいつも自宅にいる様子。まひろが頻繁に宿下がりできるようになったところにも、彰子の独り立ちできたメンタルの成長を感じる。
賢子は「怒るのが嫌い」?
賢子は、冒頭で「私は怒ることが嫌いなの」と言って、同じことを口にした少年時代の三郎(道長)を思い出させた。ああ、賢子はやっぱり道長の娘なんだなあと、まひろと視聴者に思わせたいのだろう。
だが、まひろが「私にはよく怒っていたわよ」と返していたように、そうなんだよ・・・少女時代の賢子は、怒るのが嫌いどころかずーっと怒っていた。ふくれっ面の印象しかなく、子役が可哀そうだなと思ったくらいだった。
だって、怒った挙句、火まで点けてまひろの原稿を全焼させるという性格の激しさだったからね。かなりの重罪だよ?それが、「怒るのが嫌い」「母上以外には怒っていません」なんて、どの口が言う?あまりにもキャラ変が過ぎやしないか。
幼少期にあれだけの被害を出して、それ以来、放火した自分が怖くなって怒れなくなったならまだ理解もできるかな。「怒るのが嫌い」は、成長に従って後から出てきた性格って事なのか?
幼少期の賢子の怒り=まひろへの甘え、ってことだったのだろうけど。だったら泣いて訴えそうだ。心理学者はどう見るのだろう。
道長パパは兼家パパの子
今回の道長。策士兼家パパの振る舞いによく似ているな、と思える場面があった。三条帝が倫子様次男の教通を側近に選んだ時のことだ。
教通に「帝のお側近くに上がる者が、なぜ兄上ではなく私なのでございましょう」と聞かれ、「名誉なことではないか。有難く務めよ」と言いながら、長男頼通の疑問「なぜ教通で、私ではないのでございましょう」には「帝に取り込まれなかったことをむしろ喜べ。お前が先頭に立つのは東宮様が帝になられる時だ」と言って頼通を驚かせた。兄弟それぞれによって巧みに言葉を変え、機嫌を取ろうとするところが、兼家パパのそれだ。
そうだった、今回の終わり、道長には家庭での大きな揺らぎがあったよね!
顕信:父上。私は蔵人頭になりとうございました。
道長:焦るな。今は、帝に借りを作ってはならないのだ。
明子:殿は、顕信よりご自分が大事なのですね。(道長、溜息)参議への近道である蔵人頭への就任を父親が拒むとは。信じられませぬ。
道長:顕信のことは、ちゃんと考えておる。
明子:偽りを申されますな。出世争いにならぬようにと、殿は私の子にばかり損な役割を押し付けて参られました。どの口で顕信のことも考えておるなぞ仰せになるのでございますか。
顕信:私は、父上に道を阻まれたのですね。私は、いなくてもよい息子なのでございますね。
道長:そのようなことは・・・
明子:許しませぬ!帝との力争いにこの子を巻き込んだあなたを、私は決して許しませぬ!(道長唖然)
道長の話を最初から聞かない人だった明子。倫子様次男の教通といい、いつも三条帝は道長の子弟の「弟」ばかりを自分の側近に引き立てようとし、家族をざわつかせるが、それにまんまと乗せられてしまったように見える明子と顕信だ。
そして、顕信は突然出家。明子が「あなたが顕信を殺したのよ!」と道長につかみかかり、大爆発していた。出家によって現世を捨てたわけだから、当時としては死んだも同然だね。定子が出家している身なのに敦康親王と内親王2人を産んだのが、当時の人たちには異常な事と見えたのが改めて分かる。
娍子の弟の通任を、半年前に蔵人頭にしたにもかかわらず、三条帝が参議に持ち上げようとし、その空席に顕信をどうだと言ってきたのが事の発端。道長は、三条帝に恩を売られるのを嫌い、その話を断った。
そしたら、三条帝からの頭中将の出世コース話を道長が断ったと知って、事情も考えずに顕信は涙の出家。後々、明子腹の兄は大臣にもなっているんだから、弟だって待てば悪くなかったかもしれないのに・・・。
焦りの余り、自分で自分の行く道を潰すというね。不安なままで居られないんだね、短絡的だよなぁ顕信も。いったい誰似なんだ(言わずもがなの明子か)。ドラマでは道長に「我々が公卿になる日はいつなのか」「いつまで待てばよろしいのですか」と迫り、同母兄頼宗に「控えよ」と制されるという、堪え性の無い人物としての描かれ方をした。そこを三条帝に突かれた。
ただ、史実では彼、蔵人頭の話がある直前にちょっと悪口でやらかしちゃってたらしい。それが、しゃれにならない悪口というか呪詛絡みと聞いた。さすが明子の子!だ。(藤原顕信 - Wikipedia)
この波乱が、どう次回に繋がっていくのかな。予告で道長はひどく病んでいた様子。明子が呪詛発動で道長を病ませるのか、凄いパワーだ。
今回は外の嵐のせいで集中し過ぎたのか、ちょっと長くなり過ぎちゃったかな。
(ほぼ敬称略)